最近こういうネタを多く書いていますが、近年音楽家を志す子どもが減っています。それと同時に音大卒業後にフリーの演奏家として活動する子も激減しています。それが悪いことかというと、良いことのようにも思えるような、正直言って複雑な心境です(笑)

数年前までの私は、音大に行きたいという子から相談を受けたら、音大を出た後の子たちがどのようなことになるのかを事細かに話していました。私の周囲で起こったことは大変壮絶だったので、話を聞いただけでたいていの子が諦めました。

ここではびっくりしてしまうと思うので語りませんが、お伝えしたいことは音大では楽器の演奏を主に学びますが、それが金銭という対価には繋がりにくいということを大前提として考えて欲しい、ということです。

皆音大に行ったら自分の演奏で生活したいと思うのが当たり前ですが、現実問題今の日本でそれは厳しいです。本当にものすごく上手でも、さらに運が味方する必要があります。

高嶋ちさ子さんがいつかテレビで言っていました。これからの日本は複数の仕事がないと行きていけない、と。このコメント、私にはものすごくしっくりきます。

音大において、まず音楽家一本で生きていけることを美学としているところがありますが、それは人生の上ではリスクとも言えます。いつ体を壊して演奏出来なくなるか分からないのに、いわゆる肉体労働である演奏だけを仕事とするのは、心身ともにリスクです。体の都合だけでなく、精神的に追い詰められてその道をリタイアする方も多いです。特にオーボエなんてリードとともに精神をも削るので、あの時コンクールで見た方、そういえばお名前を見なくなったなと思ったら・・・ということもよくあることです。

もちろん、ひとつのことを突き詰めて頂点を目指すことは素晴らしいです。けれども、それが体現出来る人は残念ながらほとんどいません。今の私の立場から言いたいのは、他にもいくつもスキルを持って、それぞれバランスよくお仕事していけるようにする方が音楽家として長く生きていけるし、音楽を長く楽しめるという事実があるということです。ひとつの楽器に秀でた技術と才能だけが必要なわけではなく、むしろオーボエというひとつの価値観だけしか見ずに学生時代を終えるよりも、さまざまな世界を見て聴いて考えることのほうが大事なので、楽器の技術や才能よりも、人としてのトータルバランスを重視していく方が結果音楽家として生きていけるのではいかと思っています。

だって、ものすごく上手でも時間が守れなかったり無礼なことをする人は次のお仕事につながりませんからね。それよりもきちんとしている人を選ぶ、それは社会の中で生きて行くなら当たり前のことですよね。

そんな理由で、今は弟子を取る時のスタンスを変えるように意識するようになりました。

つづく。