音楽という芸ごとを磨く上で、「言葉にできない何か」と対峙しなければならないシチュエーションは多いと思います。言葉にするとチープになってしまったり、誤解を与えてしまうこともあったり。とくに大人になると、なんでも言語化して理屈で理解したくなってしまうような気もします。けれど、この種類のものは、言葉を通じて脳にインプットしてまるで勉強ごとのように理解するだけでは、実際の演奏に反映できないこともいっぱいありますね。

昔、当教室のあるクラスの生徒さまから「苦手箇所を出来るようにするにはどうしたらいいか先生に聞いたら、『ひたすらさらうしかない』と言われて悲しくなっちゃいました」とご相談頂いたことがありました。もう少し生徒さまの気持ちを汲んだアドバイスをしないとダメよ、とその担当講師とは電話で話してあーだこーだ言い合いになったのですが(笑)確かに「ひたすらさらうしかない」という事実もあります。理屈を理解して習得をしたような気持ちになっていても、実際にそのイメージ通りに演奏するには、たくさん練習を重ねて自分で感覚を探っていくしかないこともあります。この寄り添えていないアドバイスは、演奏家だからこそのストイックなアドバイスでもあるわけです。※ でも、生徒さまを傷つける発言はダメ、ゼッタイ🙅‍♀️

話は変わって、芸大は偏差値にすると比較的高いのは、楽器や音楽が上手な人は必然的に頭が良いからだ、とよく言いますね。楽器が上手くなるためには、脳をフル回転させる必要があるし、右脳も左脳もよく使うからだと私も思います。しかしながら、必ずしも学問が得意だからといって楽器が上手いわけでもないのはなぜでしょうか?勉学と音楽の才能や幼少期の習いごとの違いなどもあるかもしれませんが、個人的には頭でっかちになりすぎると、言葉にできない・理屈で説明しきれない「何か」をどこかスルーしてしまう人もいる、そういう違いではないかと思ったりしています。

言葉にできない「何か」を会得する場所

その「何か」を知るには、演奏会に足を運んで鑑賞を体験することがもっとも大切だと思います。楽器の演奏会には言葉はありませんが、人の心を動かしますし、メッセージが受け取れることもありますね。そういう体験をすることで、なんとなく掴んでいくのかもしれません。

演奏会になかなか足を運べない方もいらっしゃいますので、レッスンでもそういった気づきを得て頂けるように、良いリードで良いお手本をお見せできるよう準備を頑張ろう!と思います。